アラサー、おのぼりさんを体験する。

雑記
2022/11/01
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私は去年から通信の大学生をしている。
今月は大学生となって初めてキャンパスに足を踏み入れ、講義を受けに行った。
会社が休みとなる土日を利用して通う「スクーリング」というやつだ。

キャンパスは東京都内にある。週末は新幹線に乗って移動し、土曜の講義を受け、大学近くで一泊。日曜の講義を受けたら新幹線に乗って帰宅する。この生活が3週間続いた。

これまでの人生において、関東圏にはこれっぽっちも縁がなかった。
先生の講義は、テレビで聞くより1.5倍は速い標準語で進む。グループワークもイントネーションの違いから、稀に聞き取れない部分があった。

おまけに関東圏の地理がわからない。
授業では一般常識として進んでいき、田舎者としては非常に困ってしまう。

東京は日本の中心だから「みんな東京のことを知っていて当たり前」という感覚だろう。愛知県内の他市民から見た名古屋市民にもそういう風潮はある。特別なことではない。
しかし慣れていないと、なんとも複雑な気持ちになる。




雰囲気のよさそうな喫茶店にふらりと入った。ブラックコーヒーが1杯700円。私はとくに疑問も抱かず注文した。

程なくしてやってきた店員さんは、コーヒーと伝票だけを置いて奥へ去ってしまった。いつもなら付いてくるはずのトーストとゆで卵は、わたしの元に運ばれてこなかった。

入る店を間違えてしまったのか?これが都会の洗礼というやつなのか!?


ショックを受けつつ、すすったコーヒーはとても美味しかった。
また通りがかった時にはリピートしたい。


* * *


なにげなくYoutubeを見ていた。
なんと『へき地には基本的人権がない』のだと言う。

これは1970年代に書かれた本から抜粋されていた。当時京都府北部にあった70〜80の集落が集団離村ののち廃村になったそうなのだが、その背景や住民の思いなどが記されているらしい。(*1)

政策による農作物の輸入が推し進められ、減反政策が始まったことで農業での収入確保が困難になった。子供が高校に通うにあたり村を離れ下宿しなければならないのだが、それにかかる費用が家計を圧迫してしまう。豪雪地帯ゆえ冬になると集落の男性が街へ出稼ぎに行ってしまい、集落に残されるのは老人と母子だけになる。
こういったことが背景となり、村人たちは集団で村を離れるに至ったようだ。

住民であった学生たちの寄せた手記の中には、「(これまで住んできた)この集落が便利になればいいのに」「そうしたら引っ越しなんか考えなくていいのに」など、村を離れがたい思いを綴ったものばかりであった。


* * *


人生において取れる選択肢の数というのは様々な要因が絡む。生まれ育った家庭環境、経済状況、住んできた土地、学校など。まだまだ他にも挙げられるだろう。

生活拠点にしている「地域」というのは、その選択肢に想像していたより遥かに大きな影響を与えていたんだと、今回身をもって感じた。

いまの生活に不満があるわけではない。
少し前に名古屋市民をやめて郊外に引っ越した。
水も美味しいし、空気も澄んでいる。畑や田んぼもわりと近いので、ときどき田舎特有の匂いがする。
欲しいものはネット通販ですぐに届く。すぐに欲しい場合は名古屋まで出ればいい。在宅勤務がとても快適になった。


講義の合間にグループワークで一緒になったAさんと雑談していた。
仕事終わりにキャンパスの図書館に赴き、通学課程の若い学生さんに混ざって勉強時間を確保しているらしい。

わたしは通勤時間が長い。おまけに乗り換え回数も多い。
Aさんとは違い、この時間にできることは暗記ぐらいだ。

一方、Aさんはキャンパスで集中して勉強ができる。机もノートもパソコンも使える。レポートに必要な文献を手に入れることもできる。キャンパスの近くに住んでいる学生はかなり有利だ。


Aさんに「東京に引っ越す気はないの?」と聞かれた。
名古屋から来た(*2)こと以外には自分自身のことをなにも話していなかったので、当然の疑問ではある。
しかしせっかく無期契約で雇ってもらえた仕事も、名古屋で働く夫も捨てるわけにはいかない。住み慣れて愛着のあるこの土地から離れるなんてありえないことだ。

前述の学生の手記のとおりだ。
大学がこっちに来てくれさえすれば、なにも問題はないのだ。


* * *


欧米への留学を経験した人から、たびたび似たような話を耳にする。

外国人というのはやはり「外国」の方であって、「異種」なのだと。
日本から遠く離れた異国の地というのは、他の誰でもない「個」を尊重する文化らしい。
裏を返せば「わたし」はどういう人間なのかを主張し続けないと、存在を認めてもらえないような気分になるのだと言う。

帰国した日本では、見ただけで勝手に属性を決めてもらえる。自分にとって居心地いいことだと、離れてみて初めてわかったと言っていた。


たまに「日本はぬるま湯」と聞くのだが、そういう部分なのかもしれない。わたしは海外に出たことがない。いまのところそういった寂しい気持ちを理解することはできそうにない。

なんたって、たった6日間東京へ出ただけでこんなにもギャーギャー喚いているのだから。



* * *

1: https://youtu.be/mtwBYN6nkNc 【廃村探訪】京丹後廃村 - 過疎の嵐のただ中で暮らした人々と1人の教師の記録 - historica
とてもおもしろいのでぜひ見てほしい。

2: 尾張地方の人間は「他県民にもわかりやすいだろう」という謎の配慮のもと、出身地を『名古屋』と言うことが多い。厳密には名古屋市内の住民のみに許された特権だが、自分が嘘をついていると感じることはない。

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