多重派遣な初現場の話

2021/01/25
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20歳でピアノ技術者(調律師)として勤務していた楽器店を退職。失業手当をもらいに職業訓練校へ通い、マイコン制御とC言語を学びました。

正直、授業の内容はあまり理解できていなかったので、プログラマには向いてないんだろうなと思ってました。

訓練校を出たら、アパレルかカフェで働こうかと考えていました。




修了まで残り一ヶ月。なんとインターン先の実習で手応えを感じてしまいました。
これならプログラマとして生計を立ててもいいかな、と。

それもこれも訓練校の同期のみんなが、数学の偏差値が壊滅的なわたしにもわかるようにC言語を教えてくれたおかげです。




2016年。訓練校修了後、大手求人サイトを見て雰囲気だけで選んだD社に正社員として就職しました。

社員数100人と書かれていたのでそこそこ広いオフィスを想像していましたが、10畳ほどのオフィスには事務の女性一人しかいませんでした。

所属する社員は全員ここで働くわけではなく、別の企業へ派遣されそこで働くとのこと。
遅れて出勤してきた営業が私に説明しました。

わたしも翌週から大手企業A社の情報システム部でD社のビジネスパートナーであるC社の社員に教わりながら、プログラマとしての経験を積むことになりました。

これはOJTという方式だ、と営業は自慢げに語っていました。(OJTを知らない人は必ず検索してください。)

それまでの一週間は自社で勉強。
当然教えてくれる人はいないので、本とPCを交互ににらめっこして初日が終わっていきました。

二日目の夜には就業先の上司と面談することになり、車に乗ってC社のビルへ。

オフィスビル街の中なら通勤は楽そうだな...とか思っていたのもつかの間、


「いや、実際に働く場所は『半島』だよ。」


工場内に情報システム部門があり、そこはまさにド田舎。

コンビニは最寄り駅から4つ離れた少し大きな駅まで行かないと存在しません。通勤には電車で2時間。

調律師時代とあまり変わりません。




部屋に通されてすぐに、細身のC社の社員一人と、熊のように大きなC社の営業が入ってきました。

面談ではわたしのプログラマスキル、社会人経験としての前職の話をわたしからざっと説明。C社の人からは今後の仕事内容について説明を受けました。

いままで勉強してきた分野とは違いVisual Basic(VB)という言語を使用して、会社の業務で使うアプリケーションを作成するのが主な仕事。

目の前にいるC社の社員がプロジェクトマネージャー(PM)であり、わからないことがあれば彼から教えてもらえると言われました。

面談は無事終了。
ほどなくしてC社から「ぜひうちのチームに入ってほしい」と連絡がきました。

C社の面接を受けたわけではないのに、不思議な習慣です。

金曜日の夜には、D社への歓迎会が開かれました。海鮮系の居酒屋チェーン店に30人ほどが集まり、それぞれの仕事やプライベートな話題で盛り上がりました。

お花見やソフトボール大会など、D社のレクリエーションイベントが休日に開催されるとのこと。他の社員と交流できる機会が楽しみになりました。



* * *



最初の一週間が無事に終わり、休日を楽しみ、日曜の夜。

悪寒、腹痛、突然の嘔吐、下痢。


以前まったく同じ症状で苦しんだ覚えがあります。ノロウイルスです。

月曜の朝、実家住まいだったので母親の助けを借りながら、所属会社の営業へ出社できない旨を連絡。

すると「謝罪のために診断書が必要」だと言われました。
こみあげる吐き気を抑えつつ、這いつくばって病院へ。

かかりつけのお医者さんからは


「診断書ぐらいいくらでも書くけどさ。こんなの原因は歓迎会でしょ?きっと。無理しちゃだめだよ。」


と優しい言葉をかけられました。


わたしは診断書を獲得。5日間の出勤停止と言われました。

所属会社の営業がわたしの実家まで来て、なにも言わず診断書だけをわたしから奪い取って帰っていきました。

これにて任務完了、もう体力も残っていなかったので渾々と眠りました。




出勤停止期間が明けた月曜、就業先の最寄り駅へ指定の時間に行くとPMが待っていました。

工場のセキュリティゲートの入り方についての説明を受けつつ、中へ。

広大な工場の敷地の中にある二階建ての大きな施設。情報システム部門のフロアは一階の面積のほとんどを占める、大きな空間でした。


席とPCの場所だけを確認して、すぐにメンバー全員が会議室に招集されミーティングとなりました。

メンバーは10人強。
会議が始まるまでのわずかな時間で、C社の部長に挨拶されました。親しみやすいイケおじです。

PMがもう一人、年配の男性を連れてきました。C社の部長をはじめとするメンバー全員が丁重に頭を下げました。

そのミーティングは新メンバーとなるわたしの挨拶のために設けられたものでしたので、メンバー全員の名前と仕事内容を教えてもらいました。




昼食はメンバーみんなで工場内の食堂に行っているとのこと。

わたしもその日から仲間に入れてもらいました。(いま考えると非常に珍しい職場です。)

仕事が忙しかったり、気分が乗らなければ一人で食べても大丈夫な文化でした。


初日の業務はほとんど環境構築で終了。

定時を過ぎたので、そろそろ帰る準備を始めようかな...と思っていたところ、後ろの席の人が逃げるように慌ただしく帰っていきました。


「とろさん!帰れる日は早く帰ったほうがいいですよ!」


小声でC社のベテラン社員が教えてくれました。妙な現場だなとは思いましたが、その日は帰宅。


嫌な予感は的中し、翌日の朝礼で


「仕事が終わってないのに帰宅したものがいる」


としてPMに全員説教されました。



* * *



環境構築が終わり、いよいよ業務へ。
20代の男性二人と組んで、アプリケーションの新機能を作成する担当になりました。

業務を進めるためにJavaScript・VB.net・SQLの知識が必要になることがわかりました。
当然ながら、他の二人もわたしも全く未経験です。

期限は2週間。
説明担当のC社の社員に、業務アプリケーション作成の知識のある人に入ってもらえるようお願いしてみると


「このチームは人手が足りないから増員したんです。すぐに戦力になってもらわなくては困ります。」


営業から聞いた話と食い違っていました。
彼は3人が未経験プログラマであることは把握していました。しかし経験がないからできないというのは言い訳らしいです。

人ではなく、資材のようにしか見られていない表現に苛立ちを覚えました。




この日、C社の社員は全員帰社。
「帰社」とは、普段現場に常駐している社員が定時後に本来所属する会社に顔を出し、会議への参加や進捗報告などを行うことを指します。

この業界に来て初めて聞いた言葉です。


「僕たちは先に帰るから、君たちで仕事ぜーんぶ終わらせといてね!仕事終わるまで帰っちゃだめなんだからねー!」


これが当時のPMの口癖でした。
最初は冗談だと思っていましたが、わりと本気で言っていたんだと、あとから気づきました。




打ち合わせ終了後、すぐに同じプロジェクトを担当する二人に話を聞きました。

一人は20代前半のE社の正社員。
わたしの所属会社であるD社からこのチームでの仕事を紹介され、一ヶ月前に入ったようです。

もう一人は20代後半でX社の正社員、こちらもだいたいひと月前から。

この二人は少し前まで同じZ社に所属して家電量販店に派遣され店員として働いていたのですが、Z社を退職してそれぞれ別の会社へ就職。

今回とてつもない偶然で同じチームに入ったようです。

そして二人はこの一ヶ月でわかったことを、わたしに教えてくれました。



大手企業A社から、数多くのエンジニアを抱えるB社に対してアプリケーション作成の依頼があり、B社はビジネスパートナーであるC社に対し「A社に常駐して、なんかアプリケーションを作成する仕事」を依頼。

C社の人間だけでは人手が足りなくなってきたため、C社は他の会社から人をかき集めまくっているということでした。

情報を整理すると

A社 ・・・ 発注元
B社 ・・・ 一次請け
C社 ・・・ 二次請け
X社・D社 ・・・ 三次請け
E社 ・・・ 四次請け

という結論です。

初日にC社の部長を含めたチーム全員が頭を下げていた人物が、このチームを監督する立場にあるB社の課長。

そしてわたしがノロウイルスで出勤停止になったときに、D社の営業がに謝りに行った相手はB社。

チームに入る直前に蒸発した人がいた前例があったようで、わたしが蒸発したわけではないことを証明するために、C社の営業とともに診断書を持って謝罪に向かったというわけです。


割り振られた仕事についてはほどほどに動くものが完成しました。

説明してくれたC社の社員さんはただ口下手なだけで、本当はとても面倒見のよい人でした。




ただし、その後のプロジェクトは悲惨でした。

6時台の電車に乗って出勤して、22時に退勤。2時間電車に揺られて実家に帰る生活がしばらく続きました。
(早々に嫌になり、彼氏に車で実家まで送ってもらうチート行為に走りました。現在の夫です。)

一番は食料の問題。
現場で食べ物が購入できるのは13時に閉まる売店と、休憩所のパンの自販機。

品揃えはイマイチなのでこれ以外は実家から持って出勤するか、なけなしの給料をはたいて、行きの電車の乗り換え時間でコンビニに寄って確保する必要がありました。

そして眠気の問題。
貸与PCにこぼすといけないため、作業フロア内で水を飲むことが禁止されていました。
13時前にレッドブルを、18時過ぎからは休憩所でブラックコーヒーを一気飲み。

いま思えば、眠すぎてエスタロンモカ(薬局で購入できるカフェインの入った錠剤)をブラックコーヒーで流し込んだあたりで休むべきだったと思います。

この生活にわたしの体が耐えられなくなり、胃痛でぶっ倒れて使い物にならなくなりました。

一週間休んで元気になってからは、PMに対し残業しないことを宣言。

これが現在の「意地でも定時に仕事を終わらせて帰るとろさん」のルーツとなりました。


* * *


それぞれ仕事が落ち着き、チームメンバーと同じ帰りの電車に乗る機会も増えてきました。


その中でそれぞれの残業代の話題になった日がありました。

E社、X社の二人は「残業代は出ない」と。
その場に居合せた別の3次請け会社から来ている人は


「うちなんて先月の基本給すら出てない。」


と話していました。


D社は条件付きですが残業代が出ました。
しかし普通の仕組みではないため、恵まれているように感じてはいけません。

D社では裁量労働制を採用、一ヶ月間で勤務しなくてはならない時間数が決まっており、6月など稼働日の多い月は残業しなくともお小遣いが入ります。

逆に5月・8月・12月など稼働日が少ない月は欠勤したとみなされ、特に予告なく給料を引かれます。

もちろんそんなカラクリに対する説明はなく、入社するまでわかりませんでした。

D社社員としてはフレックス勤務ができそうでしたが、C社のビジネスパートナーとして常駐していたためC社のルールで禁止となっていました。




チームに入って一年弱。
仕事も落ち着いたところで、わたしの所属会社であるD社の営業に対して

「すべての月で残業代が出ない仕組みに納得がいかない。会社を辞めてやる。」

と訴えました。

最初は聞く耳すら持ってもらえず、辞めることも許されず、悔しすぎてその場で号泣してやりました。

ウォータープルーフのマスカラなのにパンダ目になったことを、営業に指摘されるほど大泣きしました。
(よい子は恥をかくだけなのでマネしてはいけません。)


一ヶ月後、十分な退職理由と破られてもいいように退職届を二通持って営業に直訴しようとしたところ、わたしの話を聞くことなく二つ返事で退職届が受理されました。


一方PMとは毎日の昼食時間やその後開かれた歓迎会などで仲良くなり、気兼ねなく話せる間柄になっていました。
PM自身もずいぶん性格が丸くなりました。




D社を退職することが決まり、本来であればD社の営業からすぐにPMに連絡がいきます。

それが伝わるより前にPMに時間をもらい、経緯を説明しました。

「まさかみんなが残業代をもらっていないなんて、いままで知らなかった。」

チームメンバーみんなで同じ電車に乗って帰ったり、同じテーブルで昼食を食べたりしてコミュニケーションを取り、信頼関係を築いていなければ、他の会社の残業代なんて知るよしもありません。

独自の方法でプロジェクトメンバーと繋がりを持ったPMだったと感じています。




このプロジェクトが一体どうなったかというと…
優秀な人も、使えないおじさんも毎月のように辞めていき、わたしがチームを離れる頃にはメンバーは総入れ替えになっていました。

風の噂ですが、プロジェクト自体も無くなったようですね。




* * *




振り返って考えてみると、仕事を依頼したA社から見れば、メンバーが入れ替わりすぎて肝心のアプリケーションは一向に納品されず…

現場で働く人間は疲弊して使い物にならなくなり…

営業は新規開拓どころではなく欠員の補充と謝罪だけが仕事になる…

誰一人として幸せにならない構造でした。

取り締まるための法律が存在すると思うのですが、法律の穴をかいくぐるような契約でもしていたんでしょうか?
末端のわたしにはわからないことです。


また仕事の忙しさを人海戦術でしか解決できない現場も問題です。

IT業界ですから、自分たちの仕事の効率を上げるために、目の前にあるコンピューターを使うべきです。

すでに他の人が生み出したツールやサービスやライブラリをフル活用してよいのです。

それを顧客からの見た目だとか、セキュリティの担保だとか、よくわからない縛りを設けて難易度を上げる意味がよくわかりません。




可能な限りコンピューターに仕事をさせる。

自分は楽をする。

寿命がきたり、使い物にならなくなったコンピューターはすぐさま捨てて…

新しい製品の購入を依頼する......

あれ…こんな話どこかで聞いたことがあるような......?